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東京高等裁判所 昭和29年(ネ)1077号 判決

控訴人 東京シヤリング株式会社

被控訴人 東京都

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、「原判決中控訴人敗訴の部分を取り消す。被控訴人は控訴人に対し金八十一万千六百三十二円並びにこれに対する昭和二十七年一月二十五日から支払ずみまで年五分に相当する金員を支払え。訴訟費用は第一、二審共被控訴人の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、被控訴代理人は、控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張は、控訴代理人において、「(一)控訴人は、被控訴人の公権力の行使に当る公務員の違法なる職務執行により損害を被つたので、国家賠償法第一条により被控訴人に対しこれが賠償を求めるものである。そしてここにいわゆる違法なる職務執行とは、訴外司法警察員警部補石川清七が被控訴人の自治体警察署である愛宕警察署捜査主任としてなした本件手形の押収手続並びに仮還付手続が違法であつたことを指称する。すなわち、本件手形は贓物の範疇に入らないものであるにかかわらずこれを贓物であるとして押収した。また、刑事訴訟法第二百二十条第二百二十二条並びに犯罪捜査規範第三百十一条、第三百二十九条に違反して適法に差押令状を示すことなくして差押の執行をなした。次に石川清七は、同法第二百四十二条、同規範第三百六十条に違反して告訴事件の証拠物として押収した本件手形を検察官に送付しないで株式会社西山商店に仮還付した。しかも同法第二百二十二条、第百二十三条によれば、押収物の仮還付は、所有者、所持者、保管者又は差出人に対してなすべきであり、本件において本件手形の所有者、所持者、差出人は控訴人であるから、もしこれを還付するとすれば、当然控訴人に還付すべきであるにかかわらず何ら還付を受ける資格のない前記西山商店に還付したのは違法の甚だしきものである。(二)石川清七は、故意に少くとも過失により右違法なる職務執行をなしたものである。すなわち、本件手形の正当なる所持人は控訴人であつて西山商店でなく、従つて本件手形は贓物をもつて目すべきものでないことは、高度の手形理論をまつまでもなく明らかなところであるにかかわらず、石川清七は、本件押取を敢行し、しかも西山商店取締役小山田晃一が執拗に本件手形を毀滅せんことを企て現にその一部を毀損した事実を目撃しながら、本件手形の所有者、所持人であり又差出人である控訴人の還付の請求を無視して何ら還付を受ける資格のない西山商店に還付したのであるから、この一連の事実よりみて、石川清七は、控訴人から本件手形を取り上げこれを西山商店に交付する目的をもつてことさらに名を押収並びに仮還付にかりて本件押取並びに仮還付をなしたものと認めるほかなく、仮に同人にかかる故意なしとするもその過失に出たことは明瞭である。(三)もし本件押収並びに仮還付がなかつたならば、西山商店は本件手形を毀滅するに由なく、従つて控訴人は右毀滅による損害を被らなかつたのであるから、本件違法処分と損害の発生との間には相当因果関係があることはもちろんであり、また仮に本件損害が特別の事情によつて生じたものとしても、右事情は石川清七の予見し又は予見しうべかりしものであつたから、被控訴人はこれが賠償の責を免れることができない。(四)本件違法なる押収のなされた日は昭和二十六年九月十二日であつて九月十三日ではないから、この点に関する原審における主張を右のとおり訂正する。仮に被控訴人主張のとおり同日は別件につき本件手形の押収がなされたのであつて本件告訴事件につき押収のなされたのは昭和二十六年九月二十七日であり、しかも捜索差押許可状によつたものとしても、右は毫も本件押収並びに仮還付の違法性を阻却するものでないから、右被控訴人の主張は理由がない。」と陳述し、被控訴代理人において、「愛宕警察署の捜査主任であつた司法警察員警部補石川清七は、昭和二十六年九月十二日午後五時頃同署石川主任調室において株式会社西山商店取締役小山田晃一が控訴会社社員河野孟司の所持せる本件手形を窃取した事実を現認し、直ちに現行犯処分として犯人を逮捕し本件手形を差し押えたのであつて、その後同年九月二十七日被疑者河野孟司に対する贓物収受被疑事件につき簡易裁判所判事の発した捜索差押許可状によりその侭同署に保管されていた本件手形を押収した次第である。よつて右にていしよくする原審における主張を右のとおり訂正する。なお、控訴人の当審における(一)ないし(三)の主張中、被控訴人の主張に反する部分はすべてこれを否認する。」とのべた外、すべて原判決の事実欄に記載されたところと同一(但し原判決九枚目裏一行目に「犯罪の嫌疑なり」とあるは「犯罪の嫌疑なし」の誤記と認める。)であるから、ここにこれを引用する。

〈立証省略〉

理由

訴外株式会社西山商店が訴外光和興業株式会社のため控訴人主張の約束手形(以下これを本件手形という。)を詐取せられたとして昭和二十六年七月二十六日同会社を被控訴人の自治体警察署である愛宕警察署に告訴したこと、同署では捜査主任である訴外司法警察員警部補石川清七が右告訴事件捜査の衝に当つたが、同人は、右告訴事件に関連し、控訴会社社員河野孟司を贓物収受罪の被疑者として取り調べ、当時控訴人の所持していた本件手形を贓物として押収し(但し押収の日時を除く。)同年十月一日頃これを株式会社西山商店に仮還付したことは、当事者間に争のないところである。

控訴人は、右押収並びに仮還付はいずれも違法であり、石川清七は、故意又は過失によりこれをなした者であると主張する。よつてまず石川清七が本件押収並びに仮還付をなすにいたつた経緯、その前後の事情等を本件にあらわれた一切の証拠資料につき審究するに、冒頭掲記の争ない事実と成立に争ない甲第二ないし第六号証、丙第一ないし第四号証、同第六ないし第九号証、その方式及び趣旨に依り公務員が職務上作成したものと認められ従つて真正なる公文書と推定すべき丙第五号証、原審並びに当審証人石川清七、河野孟司、原審証人相沢雄、土屋勇、高橋高男の証言を綜合すれば、次の事実を認めることができる。すなわち、石川清七は、前記告訴事件の捜査をなすに当り、主なる関係者である株式会社西山商店の取締役総務部長小山田晃一、光和興業株式会社の専務取締役土屋勇及び控訴会社の営業部条鋼課長河野孟司を取り調べた結果、その間若干供述の喰い違いがあり、殊に河野孟司は終始知情の点を否認し、本件手形は控訴会社の光和興業株式会社に対して有する金八十一万円余の債権の弁済として同会社の専務取締役土屋勇及び社長相沢雄から受領したもので、本件手形につき同会社と株式会社西山商店との間に存在していた事情については全然知らなかつたと陳弁したのであるが、結局、土屋勇は、光和興業株式会社の専務取締役として、株式会社西山商店の取締役小山田晃一から鋼材の買付並びに割引斡旋のため交付を受け保管していた本件手形をほしいままに光和興業株式会社の控訴会社に対する債務の担保として控訴会社社員河野孟司に交付して横領し、河野孟司は、その情を知つてこれを収受した嫌疑十分であるとの結論に到達し、昭和二十六年九月九日土屋勇に対する横領、河野孟司に対する贓物収受、各被疑事件として右事件を東京地方検察庁に送付したのであつて、右取調の際、河野孟司は、本件手形の現物の提出をなさず、その写を提出したに止まつたので、石川清七は、同年九月八日右写を領置し、これを検察庁に送付したのであつたが、その後同年九月十二日午後五時頃愛宕警察署内石川主任調室において小山田晃一、土屋勇及び河野孟司の三名を相い会せしめ、取調をなさんとした際、小山田晃一は、矢庭に河野孟司の所持した本件手形在中の封筒を奪取したので、石川清七は、小山田晃一を窃盗現行犯人なりと認め、直ちに同人を逮捕し、かつ本件手形をその証拠品として押収し、河野孟司に対しては手形差押の旨記載し押印した自己の名刺(甲第二号証の名刺)を交付し、さらにその後同年九月二十一日東京簡易裁判所裁判官に対し河野孟司に対する贓物収受被疑事件につき捜索差押許可状の発付を請求し、同裁判所判事近藤春雄名義の同日附許可状の発付を受け、同月二十七日午前十時三十分頃愛宕警察署において河野孟司の出頭を求め、同人に対し右許可状を示して本件手形を差し押え、同日附その旨の押収品目録交付書(甲第四号証)を作成して同人に交付した。そしてその後控訴人からしばしば本件手形の還付方の請求があつたが、石川清七は、本件手形はその被害者である株式会社西山商店に仮還付するを相当と思料し、上司である愛宕警察署長司法警察員警視渡辺厳の指揮を仰ぎ、同年十一月一日西山商店取締役社長西山巧記を同署に招致し、本件手形を同人に仮還付して請書(丙第四号証)を徴し、同年十月十日東京地方検察庁に対し河野孟司に対する前記被疑事件の関係書類として捜索差押許可状、捜索差押調書及び仮下請書各一通を追送したのであつた。以上の認定に反する前掲各証人の証言部分はいずれも当裁判所これを採用せず、その他右認定を左右するに足る証拠はない。

果して然らば、現行犯処分の場合、逮捕の現場で差押をなすについては令状を必要としないことは刑事訴訟法第二百二十条第二項の明定するところであり、また昭和二十六年九月二十七日なされた押収については令状を河野孟司に示してこれをなしたことは前認定のとおりであるので、本件押収手続については控訴人の指摘するような手続上の瑕疵は全くなかつたものとなすのほかなく、また同法第二百四十二条は、司法警察員は、告訴又は告発を受けたときは、速かにこれに関する書類及び証拠物を検察官に送付しなければならない旨規定しているが、右は、告訴又は告発事件の処分の公正を期するためであつて、司法警察員が同法第二百二十二条、第二百十八条、第百二十三条、第百二十四条に基いて押収物又は贓物の仮還付をすることまで禁止した趣旨でないことは、これを同法第二百四十六条の規定に対比して容易に知ることができるので、石川清七が本件手形の現物を東京地方検察庁に送付しないでこれを株式会社西山商店に仮還付し、同検察庁に対しては単にその関係書類を追送するに止めたからといつて、本件仮還付手続に控訴人主張のような手続上の違法があるものということができない。唯、刑法にいわゆる贓物とは財産犯罪によつて取得せられた物件であつて被害者が法律上追及しうるものをいい、被害者が回復請求権を失つたものは最早これを贓物といいえないことは、まことに控訴人所論のとおりであつて、従つて控訴人が本件手形を取得した事情が控訴人主張のとおりであるとするならば、株式会社西山商店と光和興業株式会社との間の本件手形授受の事情いかんをとわず、西山商店は、最早控訴人に対し本件手形の取戻を請求することができないので、本件手形は贓物であるということができず、これを贓物なりとしてなした本件押収並びに仮還付は、まさにこの点において違法であるといわなければならない。しかしながらもし事実関係にして石川清七の到達した結論のとおりであるとするならば、本件手形は贓物でありその被害者は株式会社西山商店であることは疑ないところであるから、本件押収並びに仮還付には何ら右のような違法はないものというべく、もしそれを石川清七がわざわざ事件捜査のため必要ありとして本件手形を押収しながらこれを検察官に送付せず西山商店に仮還付した措置を非難するならば、それは当不当の問題であつて適法違法の問題でないのであるから、本件押収並びに仮還付の違法性の有無を判定するにつき何ら関係なき事項といわなければならぬ。これを要するに、本件押収並びに仮還付の違法なりや否は一にかかつて本件手形が贓物なりや否の事実問題にあるものというべく、しかもこの問題は、石川清七が明らかに本件手形が贓物でないことを認識していた場合は格別、贓物でないにかかわらず贓物であると判断し、かつこの判断を正当なりと思料し、司法警察員として適法に職務を執行する意思をもつて本件押収並びに仮還付をなす場合のあることも考えうるのであるから、この点に関する石川清七の過失の有無にも関連をもつものといわなければならぬ。

この点に関し、控訴人は、石川清七は、控訴人から本件手形を取り上げこれを西山商店に交付する目的をもつてことさらに名を押収並びに仮還付にかりて本件押収並びに仮還付をなしたものである、と主張するけれども、右事実を認めるに足る証拠なく、前段認定の本件押収並に仮還付の経緯、その前後の事情から右事実を推断することもできない。かえつて右認定事実よりみるときは、石川清七は、少くとも自己の判断を正当なりとしこの判断に基いて適法に職務を執行する意思をもつて本件押収並びに仮還付をなしたものと認めるのが相当である。よつて見方をかえて、本件手形が贓物であるかどうかの判断はしばらく措いて過失の方面より観察することとし、本件手形は控訴人主張のとおり贓物でなかつたと仮定して、この仮定の下に石川清七がこれを贓物であると判断したことにつき過失があつたかどうかにつき考察することとする。

なる程河野孟司が石川清七の取調に対して終始いわゆる知情の点を否認していたことは事実である。しかしながら同時に同人は控訴会社の光和興業株式会社に対する金八十一万円余の債権に対する弁済として同会社専務取締役土屋勇から本件手形を受領したと供述しているのである。金八十一万円余の債権に対する弁済として右債権額をはかるに超過する金額五百万円の約束手形を受領することは果して取引上間々ある事例として容認できるであろうか、しかも原審証人土屋勇の証言によれば、河野孟司は本件手形授受の際土屋勇に対し受領証を交付せずして預り証を差し入れているのである。又同証人は河野孟司に対し本件手形は光和興業株式会社が株式会社西山商店から鉄鋼の買付並びに資金の調達のため預つたものであるということを話したといつているのである。おそらく土屋勇は石川清七に対し同様のことを供述したのであろう。ここにおいて石川清七がこれらの供述を比較対照し、河野孟司の弁解を採用すべからざるものとし、前認定のような結論に到達したのは無理からぬところであつて、またこのような場合、犯罪の嫌疑のないことが明明白白である場合を除き事件を検察官に送付し起訴不起訴その他につき検察官の判定に委することは犯罪捜査の任に当る司法警察員として当然採るべき態度であり、また告訴事件について事件を検察官に送付することは刑事訴訟法上司法警察員に要求せられているところでもある。既に事件を検察官に送付する以上、これが証拠物たるべき本件手形を押収することは自然の数として許されるところであり、ひいてこれが仮還付もまた司法警察員としてなしうるところであろう、すなわちこの点に関し石川清七に過失ありとはいいえないのである。そして国家賠償法第一条にいわゆる故意とは公務員が公権力を行使する職務行為をなすに当り自己の職務執行が違法であることを認識しながらこれを行う場合をいい、過失とは注意をかいたためその違法なることを認識しないで行う場合をいうのであるから、仮に石川清七が本件仮還付をなすに当り仮還付の必要の有無並びに仮還付先の決定につき裁量を誤つたとしてもそれは前にもいつたとおり適法違法の問題ではなくして当、不当の問題であり、従つて右につき過失の有無を詮索することは必要でないであろう。このことは刑事訴訟法第百二十四条第二項に押収した贓物を被害者に仮還付した場合、利害関係人が民事訴訟法の手続に従いその権利を主張することを妨げない旨規定していることによつても容易に理解することをうべく、本件においてもし控訴人が石川清七が本件手形を株式会社西山商店に仮還付したことを不当とし、これを所有者、所持人であり、また差出人である控訴人に仮還付すべきものであると主張するならば、よろしく同法第四百三十条第二項に従い右仮還付処分の取消又は変更を請求するか、または民事訴訟の手続に従い西山商店に対しその権利を主張すべきである。

以上の次第であつて、本件において控訴人が被控訴人に対し国家賠償法第一条に基き損害の賠償を請求するには、本件押収並びに仮還付が違法であるのみにては足らず、行為者である石川清七の故意又は過失を必要とするところ、石川清七に故意又は過失あることは到底これを認めることができないので、控訴人の本訴請求は、その余の点につき判断するをもちいず、既にこの点において失当であり、棄却すべきものとする。しからば右と同趣旨に出た原判決は結局相当であり、控訴人の控訴は理由がないので、民事訴訟法第三百八十四条第九十五条第八十九条を適用し主文のとおり判決した。

(裁判官 大江保直 草間英一 猪俣幸一)

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